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住友金属鉱山 |
住友グループ、非鉄金属メーカー大手、銅、ニッケル、金の総合非鉄会社、臨界事故のJCOは子会社。 |
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沿革
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天正18年(1590) | 住友家の業祖、蘇我理右衛門、京都において銅製錬、銅細工を開業。すでに、銀・銅を吹き分ける“南蛮吹き”の技術をもち、また鉱山の開発も手がける。 |
元禄4年(1691) | 別子銅山の稼行開始。 |
明治38年 | 四阪島に銅製錬所を新設。 |
昭和2年7月 | 住友合資から別子鉱山、四阪島製錬所等を分離し、住友別子鉱山を設立。 |
昭和12年6月 | 住友別子鉱山鰍ニ住友炭礦鰍合併して、住友鉱業を設立。 |
昭和14年11月 | 電気ニッケルの生産開始。 |
昭和21年1月 | 社名を井華鉱業と改称。 |
昭和25年3月 | 井華鉱業鰍フ金属部門をもって、別子鉱業を設立し新発足。 |
昭和25年6月 | 東京証券取引所市場第一部上場。 |
昭和27年6月 | 社名を、別子鉱業鰍ゥら住友金属鉱山に改称。 |
昭和31年9月 | 鞄向製錬所(現・連結子会社)を設立し、フェロニッケルの生産開始。 |
昭和35年4月 | 東京電子金属鰍設立し、エレクトロニクス材料の製造事業に進出。(昭和41年、当社に吸収合併され、電子金属事業部(現 電子事業本部)となる) |
昭和38年4月 | シポレックス製造鰍設立し、ALC(軽量気泡コンクリート)事業に進出。(平成元年、当社に吸収合併された) |
昭和39年7月 | 住鉱アイ・エス・ピー鰍設立し、亜鉛・鉛の生産開始。(昭和55年、当社に吸収合併され、播磨事業所となる) |
昭和40年8月 | 市川市に中央研究所建設。 |
昭和42年9月 | 電子金属事業部(現 電子事業本部)青梅工場完成。 |
昭和45年6月 | 新居浜ニッケル新工場完成。 |
昭和46年2月 | 東予製錬所完成。 |
昭和48年3月 | 別子鉱山、5月鴻之舞鉱山操業終結。 |
昭和52年1月 | 住友金属鉱山シンガポール(現・住友金属鉱山アジアパシフィック梶A連結子会社)を設立し、海外におけるエレクトロニクス材料の製造事業に進出。 |
昭和52年2月 | 新居浜研究所設置。 |
昭和56年8月 | 金属鉱業事業団の広域調査により、当社の鹿児島県菱刈鉱区に高品位の金鉱脈発見される。 |
昭和57年4月 | 本社新社屋(「新橋住友ビルディング」)竣工。 |
昭和60年7月 | 菱刈鉱山、金鉱脈に到達。探鉱出鉱開始。 |
昭和61年2月 | Sumitomo Metal Mining Arizona,Inc.(住友金属鉱山アリゾナ)(現・連結子会社)へ出資。海外鉱山事業への進出ならびに銅原料の安定確保。 |
昭和63年7月 | カナダINCO社よりP.T.インターナショナルニッケルインドネシア(現・関連会社)の株式を取得。ニッケル原料の安定確保。 |
平成2年7月 | ニューカレドニアのエタブリスモン バランド(現・フィゲスバル、関連会社)に資本参加。 |
平成4年1月 | 米国のフェルプス・ドッジ社が所有するラ・カンデラリア銅鉱床(チリ)の開発プロジェクトに参加。 |
平成5年7月 | ノースパークス金・銅鉱山(オーストラリア)の開発プロジェクトに参加。 |
平成7年9月 | 中国の金隆銅業有限公司(現・関連会社)に資本参加。 |
平成9年2月 | 海外資源事業統括会社として住友金属鉱山アメリカ(現・連結子会社)を設立。 |
平成9年5月 | 菱刈鉱山の累計産出金量(83トン)が日本一を記録。 |
平成9年12月 | 米国アラスカ州ポゴ地区における共同探鉱により金鉱床の埋蔵金量を確認。 |
平成10年6月 | カナダのテック社の株式を取得し、経営に参加。 |
平成11年9月 | 住友金属鉱山シポレックス(現・連結子会社)を設立。 |
平成11年9月 | 潟Wェー・シー・オー(現・連結子会社)東海事業所において臨界事故発生。 |
平成11年10月 | 住友金属鉱山シポレックス鰍ノ当社直轄の建材3工場(国富、栃木、三重)を譲渡し、あわせて住鉱シポレックス鰍ゥら同社に対して営業譲渡。 |