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旧住友海上火災保険 |
損害保険会社大手、住友系、01年10月、三井海上火災保険と合併。 |
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旧住友海上火災保険(株)は明治26年(1893年)、関西の銅業、貿易関係の有志により、大阪保険(株)として、大阪市西区に設立されました。資本金は120万円。その後、大正5年(1916年)に大阪商船グループの傘下に入り、大阪海上火災保険(株)となりました。 |
大正6年(1917年)、山下汽船の山下亀三郎氏の提唱で、もう一つの前身会社である扶桑海上保険(株)が東京有楽町に誕生。後に住友に経営が移って、住友海上火災保険(株)となりました。両社の発展の道のりは、決して平坦なものではありませんでした。 |
第一次世界大戦後の不況、関東大震災、太平洋戦争等幾多の試練を乗り越えて発展しました。昭和19年(1944年)に両社は合併し、大阪住友海上火災保険(株)として発足しました。資本金は2,400万円でした。 |
戦後、経済の復興とともに順調に発展し、昭和29年(1954年)東京駅近くの呉服橋に本店ビルを建設するとともに住友海上火災保険(株)に社名を変更し、戦後の発展期を迎えました。 |
日本経済の高度成長期には、質のよい契約の拡大を目指し、担保力の優れた保険会社として発展しました。 |
その後、「大衆化路線の推進に全力を傾注し、もって規模の拡大に向かって邁進する」ことに方向転換。代理店の全国組織である住友連合代友会中心に販売網を拡充強化・事故サービス網・テレホンサービス等の充実をはかりました。また日本企業の海外進出に対応した海外営業体制整備も進めました。さらに、平成8年(1996年)の新保険業法の施行に伴い、住友海上ゆうゆう生命(株)を設立して生保事業にも進出。事業の多角化もはかり、平成13年(2001年)三井海上と合併いたしました。 |
年月
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沿革
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1893年(明治26年) | 大阪保険(株)設立 |
1899年(明治32年) | 大阪火災保険(株)に社名変更 |
1907年(明治40年) | 大阪火災海上運送(株)に社名変更 |
1916年(大正5年) | 大阪海上火災保険(株)に社名変更 |
1917年(大正6年) | 扶桑海上保険(株)設立 |
1919年(大正8年) | 摂津海上保険(株)設立 |
1920年(大正9年) | 扶桑海上、扶桑海上火災保険(株)に社名変更 |
1930年(昭和5年) | 摂津海上、摂津海上火災保険(株)に社名変更 |
1938年(昭和13年) | 利益保険認可(扶桑海上) |
1940年(昭和15年) | 扶桑海上、住友海上火災保険(株)に社名変更 |
1942年(昭和17年) | 大阪海上火災保険(株)、摂津海上を合併 |
1944年(昭和19年) | 大阪海上・住友海上合併により、大阪住友海上火災保険(株)設立 |
1951年(昭和26年) | BIGの貨物保険媒介業務認可 |
1954年(昭和29年) | 住友海上火災保険(株)に社名変更 |
1956年(昭和31年) | 香港元受営業開始 |
1960年(昭和35年) | 住宅総合保険認可 |
1962年(昭和37年) | 店鋪総合保険認可 |
1969年(昭和44年) | 長期総合保険認可 |
1972年(昭和47年) | 中国人民保険公司と業務提携 |
1975年(昭和50年) | (財)住友海上福祉財団設立 |
1976年(昭和51年) | スミトモ・ヨーロッパ社設立 |
1981年(昭和56年) | スミトモ・ホンコン社設立 |
1982年(昭和57年) | 自家用自動車総合保険(SAP)認可 |
1984年(昭和59年) | 積立女性保険認可 |
1986年(昭和61年) | 住友海上投資顧問(株)設立 |
1988年(昭和63年) | 本店新社屋(中央区新川)完成 女子柔道部創設 スミトモ・マリン・リアルティー社設立 |
1990年(平成2年) | スミトモ・マリン・インベストメント社(英)設立 |
1992年(平成4年) | 住友海上さわやかネット(株)設立 |
1993年(平成5年) | (株)住友海上リスク研究所設立 |
1994年(平成6年) | 三田コンピューターセンター竣工 |
1996年(平成8年) | 住友海上ゆうゆう生命(株)設立 |
1999年(平成11年) | アイルランド・ダブリンに再保険会社設立 |
2000年(平成12年) | 住友生命と業務提携 |
2001年(平成13年) | 三井海上火災保険(株)と合併契約書締結 |