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商船三井 |
海運大手、大阪商船と三井船舶が合併して発足、その後ナビックスラインと合併、世界最大級、海運2位、タンカー・LNG船で世界首位。 |
当社は、昭和39年4月、大阪商船株式会社と三井船舶株式会社との合併により発足した大阪商船三井船舶株式会社が、平成11年4月にナビックスライン株式会社と合併し、現在の商号となった会社であります。 大阪商船株式会社は、明治17年5月、関西の船主が大同合併して資本金1,200千円をもって創立され、第二次大戦前においてすでに世界有数の定期船会社として大きく発展していた会社であります。 三井船舶株式会社は、明治初期より海上輸送に着手して以来発展していた三井物産株式会社の船舶部が、昭和17年12月28日に分離独立し、資本金50,000千円をもって設立されました。 両社は、第二次大戦により所有船舶のほとんどと船舶の自主運航権を失いましたが、昭和25年4月に、海運の民営還元が実現した後、運航権の回復と船舶の整備拡充に努めた結果、昭和20年代後半にはおおむね往年の主要航路の再開をみました。その後、両社の合併を経て、わが国貿易の急速な発展並びに海上輸送形態と積荷の多様化に対応して事業の拡大と多角化に努めてきました。 株式の上場は、大阪商船株式会社が明治17年に大阪株式取引所に、三井船舶株式会社が昭和24年5月に東京・大阪・名古屋の各証券取引所にそれぞれ上場を開始し、昭和39年には国内全ての証券取引所に上場を行ない、現在に至っております。 昭和39年の大阪商船三井船舶株式会社発足から現在までの主な沿革は次のとおりであります。 |
年月
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沿革
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昭和39年4月 | 海運再建整備に関する臨時措置法に基づき、大阪商船株式会社と三井船舶株式会社が(三井船舶株式会社を存続会社として)対等合併し、本店を大阪市に置き商号を「大阪商船三井船舶株式会社」と変更、合併時の資本金131億円、所有船舶86隻127万重量トン |
昭和41年10月 | 内航近海部門を分離し、商船三井近海株式会社(平成2年、株式会社エム・オー・シーウェイズに商号変更)を設立 |
昭和44年8月 | 日本沿海フェリー株式会社発足 |
昭和45年10月 | 船客部門業務を分離し、商船三井客船株式会社設立 |
昭和49年9月 | 株式をフランクフルト、ブラッセル、アントワープの各証券取引所に上場 |
昭和61年8月 | 北米における定期船・物流部門を統括するMITSUI O.S.K.LINES(AMERICA),INC.(現、MOL (AMERICA)INC.)を設立 |
昭和63年4月 | 情報システム部門の主要業務を商船三井システムズ株式会社に移管 |
平成元年6月 | 山下新日本汽船株式会社とジャパンライン株式会社が合併し、ナビックス ライン株式会社発足 |
平成元年7月 | 三井航空サービス株式会社と商船航空サービス株式会社が合併し、エムオー エア システム株式会社(現、商船三井ロジスティックス株式会社)発足 |
平成2年8月 | 株式会社ダイヤモンドフェリーに資本参加 |
平成5年10月 | 日本海汽船株式会社を合併 |
平成7年10月 | 新栄船舶株式会社を合併 |
平成8年4月 | 東京マリン株式会社に資本参加 |
平成10年3月 | BGTプロジェクト関連企業3社の株式を追加取得し、子会社化 |
平成11年4月 | ナビックス ライン株式会社と合併し、商号を「株式会社 商船三井」に変更 株式会社商船三井エージェンシイズ(神戸)、株式会社商船三井エージェンシイズ(横浜)、東海シッピング株式会社、モンコンテナ株式会社が合併し、株式会社エム・オー・エル・ジャパンが発足し、定航営業部、大阪支店、名古屋支店の業務を同社に移管 |
平成12年4月 | 商船三井興業株式会社、日本工機株式会社、ナビックステクノトレード株式会社が合併し、商船三井テクノトレード株式会社発足 |
平成13年3月 | 商船三井フェリー株式会社発足 |
平成13年7月 | 株式会社エム・オー・シーウェイズにナビックス近海株式会社の近海部門を移管し、それぞれ商船三井近海株式会社及びナビックス内航株式会社に商号を変更 |