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三菱製紙 |
製紙メーカー大手、売上げ規模で業界5位。 |
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年月
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沿革
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明治31年4月 | 神戸市三宮においてウォルシュ氏兄弟が経営していた製紙会社を岩崎久彌が買収し、合資会社神戸製紙所(資本金500千円)を設立、洋紙の抄造及び販売を開始した。これが当社の創立である。 |
明治34年6月 | 兵庫県高砂市に工場(現 高砂工場)を移転した。 |
明治37年6月 | 社名を合資会社三菱製紙所と改称した。 |
大正6年2月 | 東京都葛飾区新宿に中川工場を新設した。 |
大正6年11月 | 組織を株式会社に変更、社名を三菱製紙株式会社と改称した。 |
大正6年12月 | 東京都千代田区有楽町に東京出張所を設置した。 |
大正14年12月 | 本社を兵庫県高砂市から東京都千代田区丸の内に移転すると共に、東京出張所を廃止した。 |
昭和19年4月 | 京都写真工業株式会社(資本金500千円、京都府長岡京市所在)を吸収合併し、これを写真印画紙に対する京都試製工場とし、後に現在の京都工場と改称した。 |
昭和19年8月 | 浪速製紙株式会社(資本金2,500千円、大阪市福島区大開町所在)を吸収合併し、引続き板紙の抄造にあたり、浪速工場と改称した。 |
昭和24年5月 | 東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場した。 |
昭和41年4月 | 青森県八戸市に八戸工場を新設した。 |
昭和41年4月 | 白河パルプ工業株式会社(資本金1,000,000千円、東京都千代田区大手町所在)と合併し、同社白河工場、北上工場は当社工場となった。当社はここにおいてパルプから紙に至る一貫メーカーとなった。 |
昭和41年12月 | 浪速工場を閉鎖した。大阪営業所を開設した。 |
昭和46年8月 | 中央研究所(現 商品開発センター)を開設した。 |
昭和47年7月 | 株式会社菱三商会と株式会社カシワが合併し三菱製紙販売株式会社(現 連結子会社)を設立した。 |
昭和54年7月 | 埼玉県川越市に印刷センターを開設した。 |
昭和55年1月 | デュッセルドルフ(ドイツ)に海外駐在所を開設した。 |
昭和57年3月 | ニューヨーク(アメリカ)に海外駐在所を開設した。 |
昭和60年4月 | ニューヨーク(アメリカ)に現地法人三菱ペーパーインターナショナル,Inc.を設立した。 |
昭和60年6月 | ニューヨーク(アメリカ)海外駐在所を廃止した。 |
昭和61年4月 | 技術開発センター(現 生産技術センター)を開設するとともに、印刷センターを廃止した。 |
平成元年1月 | 筑波研究所(現 研究開発センター)を開設した。 |
平成元年8月 | デュッセルドルフ(ドイツ)に現地法人三菱ペーパーGmbH(現 連結子会社)を設立した。 |
平成元年10月 | デュッセルドルフ(ドイツ)海外駐在所を廃止した。 |
平成4年4月 | 株式会社山本商会と株式会社月光商会が合併しダイヤミック株式会社(現 連結子会社)を設立した。 |
平成4年6月 | 名古屋営業所を開設した。 |
平成9年1月 | シンガポールに海外駐在所を開設した。 |
平成11年1月 | ドイツの製紙会社 ストラカーボンレスペーパーGmbH(現 三菱ハイテクペーパービーレフェルトGmbH、現 連結子会社)とストラスペシャルペーパーGmbH(現 三菱ハイテクペーパーフレンスブルグGmbH、現 連結子会社)の株式を取得した。 |
平成12年8月 | シンガポール海外駐在所を廃止した。 |
平成13年1月 | コダック株式会社と合弁でコダックダイヤミック株式会社を設立した。 |