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キーコーヒー |
レギュラーコーヒーの製造販売大手。JTと共同で、統一製品ブランド名で各種コーヒー製品を展開。喫茶店など業務用が主力だが、家庭用レギュラーコーヒー市場の開拓を強化。 |
大正9年8月、横浜市中区福富町において、故柴田文次がコーヒーの焙煎とコーヒー及び食料品の販売を目的として、コーヒー商「木村商店」を創業したのが当社の起源であります。大正12年9月、関東大震災により福富町の店を失い、横浜市中区吉田町に本店を移転、昭和3年春には店名も「木村コーヒー店」と改め、国内外に支店を広げるとともに、コーヒー農園の経営も手がけました。その後、第2次大戦の戦災を被り、一時営業中止の止むなきにいたることもありましたが、昭和21年には本店機能を東京支店に移し、昭和25年のコーヒー生豆輸入再開以降、本格的なレギュラーコーヒー製造販売会社として再出発いたしました。昭和27年10月に東京都港区芝田村町4丁目8番地の東京支店を本店とし、横浜支店と合わせて「株式会社木村コーヒー店」(当社)を、また昭和28年1月には大阪、京都の2支店を「株式会社大阪木村コーヒー店」として、それぞれ法人組織化いたしました。その後、当社は、昭和63年10月「株式会社大阪木村コーヒー店」を合併し、また、平成元年2月商号を「キーコーヒー株式会社」に変更いたしました。 |
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沿革
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昭和27年10月 | 東京都港区芝田村町4丁目8番地に株式会社木村コーヒー店を設立。 |
昭和29年11月 | 本店を東京都港区芝田村町19番地(現東京都港区西新橋2丁目34番4号)に移転。 |
昭和36年12月 | 日本インスタントコーヒー工業株式会社(現ニック食品工業株式会社)を設立。 |
昭和39年9月 | 横浜市港北区に綱島工場完成。 |
昭和45年8月 | 名古屋市西区に名古屋工場完成。 |
昭和46年8月 | 職域向けコーヒーの市場開拓を図るため、キーコーヒーサービス株式会社を設立。 |
9月 | 青森県八戸市に株式会社青森木村コーヒー(現青森キーコーヒー株式会社)を設立。 |
10月 | 沖縄県那覇市に株式会社沖縄木村コーヒー(現沖縄キーコーヒー株式会社)を設立。 |
昭和49年9月 | トラジャコーヒー開発事業の日本側投資会社として、スラウェシ興産株式会社を設立。 |
昭和50年5月 | 缶コーヒー原料用のレギュラーコーヒーの製造販売開始。 |
昭和51年4月 | インドネシア共和国にトラジャコーヒー開発事業の現地法人P.T.TOARCO JAYAを設立。 |
11月 | 福岡市東区に九州工場完成。 |
昭和53年3月 | トアルコトラジャコーヒー製造販売開始。 |
6月 | 千葉県船橋市に関東工場完成。綱島工場閉鎖。 |
10月 | 損害保険の取扱いを目的として、株式会社キー商会を設立。 |
昭和57年10月 | 佐賀県鳥栖市に九州工場完成。九州工場(福岡市東区)閉鎖。 |
昭和58年4月 | ライブパック包装システムを導入し、キーライブパックシリーズとして製造販売開始。 |
昭和60年12月 | 関東工場敷地内に研究所を設置。 |
昭和61年11月 | 宮城県泉市(現仙台市泉区)に東北工場完成。 |
昭和63年10月 | 株式会社大阪木村コーヒー店を吸収合併。 |
平成元年2月 | キーコーヒー株式会社に商号変更。 |
平成5年11月 | 愛知県春日井市に中部工場完成。名古屋工場閉鎖。 |
平成6年1月 | 日本証券業協会に株式を店頭登録。 |
7月 | 東京都大田区に東京商品センター完成。 |
11月 | 横浜市港北区に綱島事務センター完成。 |
平成7年6月 | 株式会社イタリアントマトとの共同出資により株式会社アイ・アンド・ケイを設立。 |
平成8年1月 | 東京証券取引所市場第二部へ株式を上場。 |
2月 | 台湾の現地企業CRESCO INC.との共同出資により台湾キーコーヒー株式会社を設立。 |
9月 | 大阪支店新社屋(KCビル)完成。 |
12月 | イタリアのカフェバールタイプのコーヒーショップ(クラッセ ディ ミラノ)を開店し、本格派エスプレッソ・コーヒーの喫茶文化を提案。 |