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旧富士銀行 |
都市銀行大手、芙蓉グループの中核銀行、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が統合して「みずほフィナンシャルグループ」を結成。 |
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元治元年(1864年)、日本橋人形町通り(現在の中央区堀留町)に乾物兼両替店「安田屋」が開業しました。資本金は25両、創業者はまだ25歳の安田善次郎です。2年後の慶応2年、日本橋小舟町に移って「安田商店」と改称。善次郎は発足したばかりでまだ信用力のない明治新政府の不換紙幣や公債を率先して引き受け、その流通に積極的に協力します。その結果、安田商店の業績は大いに伸び、高い信用を得ることに成功しました。幕末・維新の動乱の中で、本格的な両替商としての地位を築いていったのです。 明治13年(1880年)、安田商店を合本安田銀行に改組、資本金20万円、従業員31人、店鋪数3の銀行業として、ここから富士銀行119年の歴史が始まります。銀行家・善次郎は「社会、国家の発展のためには、公共的事業が不可欠である」という使命感を生涯を通して貫き通し、築港や鉄道などの大規模な公共事業に積極的に資金を提供しました。これが東京市や大阪市など地方自治体の信頼獲得につながり、のちの「公金の富士」の名声を築く基盤となっていったのです。 |
年月
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沿革
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明治13年1月 | 合本安田銀行として創業 |
明治26年7月 | 合資会社安田銀行に改組 |
明治33年10月 | 合名会社安田銀行に改組 |
明治45年1月 | 株式会社安田銀行に改組 |
大正12年7月 | 合同の母体として株式会社保善銀行を設立 |
大正12年11月 | 株式会社保善銀行に株式会社安田銀行以下11行が合併、同時に商号を株式会社安田銀行に変更 |
昭和18年4月 | 株式会社日本昼夜銀行を合併 |
昭和19年8月 | 株式会社昭和銀行を合併、株式会社第三銀行の営業を譲受け |
昭和23年10月 | 商号を株式会社富士銀行と改称 |
昭和24年5月 | 東京・大阪両証券取引所に株式を上場 (その後昭和24年8月に京都、昭和25年4月に札幌両証券取引所に株式を上場) |
昭和24年11月 | 外国為替銀行として認可 |
昭和41年9月 | 現在の本店完成 |
昭和44年5月 | 芙蓉総合リース株式会社を設立 |
昭和47年6月 | 株式会社スイス富士銀行を設立 |
昭和48年6月 | 日本抵当証券株式会社を設立 |
昭和49年11月 | 富士信託会社を設立 |
昭和49年11月 | 信用保証サービス株式会社(現在株式会社富士銀クレジット)を設立 |
昭和53年4月 | 富士銀ファクター株式会社を設立 |
昭和58年4月 | 公共債窓口販売業務開始 |
昭和59年1月 | ウォルター・イー・ヘラー・アンド・カンパニー(現在ヘラー・フィナンシャル・インク)およびその関連会社を買収 |
昭和60年7月 | 富士銀投資顧問株式会社(現富士投信投資顧問株式会社)を設立 |
昭和62年9月 | ロンドン証券取引所に株式を上場 (その後昭和63年11月パリ証券取引所に株式を上場) |
平成元年1月 | 富士キャピタル・マーケッツ・コーポレーションを設立 |
平成元年12月 | クラインオート・ベンソン社の米国プライマリー・ディーラー子会社(現富士セキュリティーズ・インク)買収 |
平成4年12月 | ヘラー・インターナショナル・ホールディングズ・インク(現ヘラー・インターナショナル・グループ・インク)を設立 |
平成6年10月 | 富士証券株式会社を設立 |
平成8年6月 | 富士信託銀行株式会社を設立 |
平成10年1月 | 富士アメリカ・ホールディングズ・インク |
平成10年5月 | ニューヨーク証券取引所にヘラー・フィナンシャル・インク株式を上場 |
平成10年10月 | 富士フューチャーズ・インクを設立 |
平成11年3月 | 安田信託銀行株式会社の第三者割当増資を引き受け子会社化 |
平成11年4月 | 富士信託銀行株式会社および第一勧業信託銀行株式会社を合併、商号を第一勧業富士信託銀行株式会社に変更 |