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富士重工業

旧中島飛行機。自動車、航空機メーカー。「スバル」ブランドで知られる。日産圏離脱し米ゼネラル・モーターズ(GM)と資本提携。


 

当社は、旧中島飛行機株式会社を前身として昭和28年に設立され、その後当社に対する出資5社(富士工業株式会社、富士自動車工業株式会社、大宮富士工業株式会社、宇都宮車輛株式会社及び東京富士産業株式会社)を吸収合併し、昭和41年には額面株式1株の金額500円を50円に変更する目的をもって、東邦化学株式会社(昭和40年富士重工業株式会社と商号変更、東京都新宿区所在)に、東京都千代田区所在の富士重工業株式会社が吸収合併され現在に至ったものであり、その間の変遷は次のとおりであります。

 
年月
沿革
大正6年12月 中島知久平氏が群馬県太田町(現太田市)に航空機の研究所を創設。
昭和6年12月 株式会社に改組し、中島飛行機株式会社と改称。
昭和20年8月 終戦にともない富士産業株式会社と改称。民需産業に転換し、スクーター、バス車体、鉄道車両、各種発動機等の生産を開始。
昭和25年7月 連合国の占領政策による指示に従って12会社に分割の上、それぞれ企業再建整備法による第二会社として発足。
昭和28年7月 第二会社のうち、富士工業株式会社、富士自動車工業株式会社、大宮富士工業株式会社、宇都宮車輌株式会社及び東京富士産業株式会社の共同出資により当社を設立し、航空機の生産、修理を再開。
昭和30年4月 上記5社を当社に吸収合併。
昭和35年10月 群馬製作所を開設。
昭和43年10月 日産自動車と業務提携。
昭和44年2月 群馬製作所・矢島工場が稼働。
昭和58年2月 群馬製作所・大泉工場が稼働。
昭和61年11月 台湾ベスパ社との間で合弁による新会社設立と現地生産に関する協定に基づき大慶汽車工業股有限公司を設立。
昭和62年3月 いすゞ自動車と米国における共同現地生産に関する合弁契約に基づきスバル・いすゞオートモーティブインク(現・連結子会社)を設立。
平成2年8月 米国における販売会社スバルオブアメリカインク(現・連結子会社)を買収。
平成7年4月 埼玉製作所(北本市)を新設。同年10月に大宮製作所の業務を移管。
平成11年10月 中央スバル自動車株式会社を吸収合併し、新たに東京地区の販売店として東京スバル株式会社(現・連結子会社)を設立。
平成11年12月 ゼネラルモーターズコーポレーションと資本提携。
平成12年4月 日産自動車との業務提携を解消。
平成12年9月 スズキと業務提携。
平成14年4月 台湾ベスパ社との現地生産に関する協定を解消。
   


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